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農民と紬

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文:富澤輝実子

農民は絹織物着用禁止なのに実際は着ていた?

ご主人は着用禁止、でも女房たちは着てもよい?

大好きな時代劇を見ると殿様やお代官様、その外のお侍(さむらい)は金襴(きんらん)、錦、御召や羽二重などの高級絹物を着用し、奥方や姫君、武家の妻女は錦、緞子(どんす)、綸子(りんず)、唐織、(江戸)小紋などの絹物を着用しているのが分かります。ところが、農民は皆が木綿(もめん)の無地か縞を着ているように見えます。農民は「絹物着用禁止」だったのです。以前、上田紬のことを調べているときに、寛永5(1628)年に幕府から出された農民に対する衣服統制令というものがあり、そこには次のように記されていることを知りました。「百姓之着物之事、百姓分之者ハ布・木綿たるへし、但名主其外百姓之女房ハ紬之着物迄ハ不苦」という一文です。分からないなりに(すみません)意訳しますと、「農民は麻か木綿の着物を着るべきだが、名主(なぬし)と女房たちは紬の着物までは着てもかまわない」というのです。名主が特別に絹物着用を許されるのは何となく納得できます。名主は現在で言えば国税庁の地方出先機関の責任者というお役目(身分は百姓分でも役人に近い立場)でしょうから分かりますが、では、女房たちは絹物OKですのに旦那様たちはNGとはどういう風に理解するとよろしいのでしょう。

屑繭を紬に織り上げたのは女房たちだった

それは、各地でなされる養蚕の裏側で多量に出たであろう「屑繭(生糸にならない繭)、出殻繭(生糸にする前に蚕蛾が飛び出てしまって穴の空いた繭)」などを無駄にすることなく大切に手を掛けて真綿にし、糸を紡ぎ出して織り上げたのが「女房たち」だったからでしょう。その織物は紬です。手で紡ぎ出した真綿糸を身近な草木で染め、農作業の合間に手機(てばた)にかけて織り上げたのです。そのようにして織り上げた紬について、よく「自家用にした」と書かれています。この自家用には深い意味があり、「自分や家族が着る」ことの外に、定期的に開かれる各地の「市で売買」したり、腕の良い織り手の紬は仲買人が買い付けてもいたようです。農民も現金収入は必要だったのですから、機織りの上手な娘ほど求婚者が多かったというのもうなずけます。

さてどんなときに着たのでしょう?

さて、先の女房たちはどんなときに紬をきたのでしょう?
その道の研究者にお尋ねすると、「多いのは寺参りですね」とのお答えでした。都会の方は「寺参り」がピンとこないかも知れませんね。でも、地方の方はその情景が目に浮かぶと思います。江戸時代のことですからどのご宗旨でも寺のご住職はその地域で一番のインテリ男性のはず。しかも奥様は思慮深く慈愛に満ちて檀家の面倒を見ているのが普通だったのです。ですから、さまざまな寄り合いとともに「何でもお寺様に相談」していたのです。そんな折にいつもの農作業着ではなく紬の着物を着て行ったのでしょう。晴れやかな姿が思い描かれます。
※ここで農民も着用できたのは真綿から引き出した糸で織り上げる「紬の着物まで」です。生糸から作られる織物は着用禁止です。生糸は繭から引き出される上質な糸ですからほとんどは京都に送り(のぼせ糸)、西陣で高級織物になっていました。山脇悌二郎(やまわき・ていじろう)先生の『絹と木綿の江戸時代』に大変詳しく解説されていますので、ご興味ある方は是非お読み下さいませ。

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