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名古屋帯は名古屋生まれってほんと?

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文:富澤輝実子

私たちが日常何気なく用いている名古屋帯ですが、愛知県の名古屋と関係があるらしいと教わったのは編集者になってだいぶたってからでした。丸帯、袋帯、半幅帯、ひとえ帯などはその形状からの呼び名と思われますし、博多帯は産地の名前から付いた名称ですから名古屋帯も産地からの呼び名かと思うとそうではありません。初めて名古屋帯を考案したのがどなたかの前に、まずは、名古屋帯の生まれる直前のお話しから。

明治の生活改善・改革運動

江戸から明治に替って日本人の生活は大きく変化せざるを得ませんでした。生活の洋風化が求められたのです。それは上流階級ほど急を要することだったようです。日本はとにかく欧米列強の植民地にだけはなりたくないわけですから、欧米の文明先進国に早く追いつくために国一丸となって邁進(まいしん)したものと思われます。そこで生活改善・改革ですが、明治30年代に様々な提言がなされています。それは衣服にもおよび着物や帯の改良も盛んに試みられました。ひとつは大げさな三枚重ねの着用をやめること、丸帯を簡易な帯にすることなどでした。丸帯はご存知のように広幅に織られた帯地を並幅に折って仕立てて用いるものですが、表も裏も見えない部分までまるまるすべて帯地ですから重くて締めにくくてしょうがありません。普段には腹合わせ帯(これも芯が厚くて重い)を用いていました。これは片側だけを帯地にして裏地は簡単な無地を縫い合わせる袋帯に発展して行きました。もちろん縫い合わせるのではなく袋状に織り上げる「本袋帯」も誕生しました。ただ、袋帯は考案されてから現在のような人気帯になるまでには数十年かかっています。

名古屋帯の誕生

名古屋帯も生活改善・改革運動の中から生まれたと言ってもよいでしょう。大正9年、名古屋の名古屋女学校(現名古屋女子大学の前身)の創立者・越原春子(こしはら・はるこ)先生は自身が考案された帯を日常締めておられました。この「一風変わった帯」に着目した中村呉服店(現名古屋三越)の小沢義男氏(のちに取締役)が販売したところ、その締めやすさから全国に広まったといわれています。はじめ関西で活用されましたが東京ではなかなか相手にされずにいたそうです。ところが丸帯を日常の座敷着に用いている花柳界から普段着の帯として重宝がられたというのです。そして一般に普及することになりました。それは昭和になってからのことです。染め帯から始まり、織り帯になり、高級な帯地を用いた名古屋帯は昭和12年の三越の逸品会に展示され、きもの通のお客様から「(普段には)これからはもう名古屋帯でなくてはね」という声が聞かれたといいます。重くて締めにくく、扱いが容易でなかった丸帯から解放された「喜びの声」のように聞こえたことでしょう。
※この越原春子先生の名古屋帯考案の由来については、東京国立博物館名誉館員、故北村哲郎先生の『日本服飾小辞典』に詳しく記されています。北村先生にはたくさんのお原稿をいただきましたし、お教えも受けましたことを懐かしく思い出します。

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