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長襦袢のトリビア

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文:富澤輝実子

長襦袢と半襦袢

着物を着る際、素肌に着物を着る方は珍しいと思います。たいていの方は肌襦袢の上に長襦袢を重ねてから着物をお召しになるでしょう。私は古式を守って(いるわけではありませんが)半襦袢を用いています。意外なことですが半襦袢の歴史は長襦袢よりも古く、しかも上流階級の方は半襦袢のほうを用いていたのです。
では、襦袢の歴史を簡単に見てみましょう。

襦袢はもともとポルトガル語!?

ご存知かもしれませんが「襦袢=じゅばん」は元々ポルトガル語です、などというと「うっそ~!まさか?」などと笑われるでしょうか。いやいや本当のことです。ポルトガル語から日本語になっている言葉で有名なのはカステラ、てんぷら、ひりょうず、金巾(かなきん)、合羽(カッパ)などですが、それらと同じように襦袢もポルトガル語から転化した言葉です。ですからポルトガル人が日本に来るまでは「襦袢」という言葉はなかったのです。では襦袢の前には下着はなかったのでしょうか? いえいえ安心してください、ありました。それは次のようなことです。
現在私たちが着物と言っている衣服は昔の小袖から始まっていて、内衣としての小袖(肌小袖)は下着だったというのが定説です。今の感覚でいえば、昔は下着にしていたTシャツが現代では普段着の代表になった、というのに少し似ているでしょうか。
ポルトガル語ではジバン〈JIBAO〉で、今でも年配の方で襦袢をジバンとおっしゃる方がいらっしゃいますが、そちらのほうが原語に近い発音かもしれませんね。

襦袢の誕生

さて襦袢の誕生ですが、ポルトガルのジバンは袖が無くて丈の短い肌着だったそうですから、想像すると現在の半襦袢のようなものだったでしょう。このいわば半襦袢は長く用いられ続けて、江戸中期に長襦袢が登場しても男子はもちろん御殿女中も必ず半襦袢を用いて長襦袢は用いなかったと、江戸時代の文献『守貞漫稿』に見えます。それは長襦袢が「遊女が着始めたところから流行した衣服」であったためと考えられています。遊女にとって長襦袢はいわば「ビジネスの勝負服(?)」にあたるでしょう。一般の奥様方には必要ないものだったのです。作家の近藤富枝先生の『大正のきもの』のなかに、明治になっても古式を守る上流階級では長襦袢は用いず、半襦袢と裾除け(蹴出し)を用いたことが記されています。ところが、遊女の着る長襦袢はビジネスの勝負服だけに、贅沢な生地(緋縮緬や紫縮緬、羽二重、綸子、絞りなどの絹物)を用いていましたから、その華やかさに目がくらみ(?)真似する人が出てきたのです。そして流行するところとなり、江戸後期には「礼服・晴着の装いには長襦袢を用い、普段には半襦袢を用いる」ことになり、男子も着用するようになったということです。
江戸時代の浮世絵にも長襦袢姿は見られますので、各地で開かれる展覧会などで目にされる際は、是非注意して見てください。着物と長襦袢の違いは現在とほぼ同じです。袖は広袖で袂がなく、衿には半衿が掛けられています。そして帯をしていないのがしるしです。

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