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振袖のちょこっと現代史

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文:富澤輝実子

振袖は現在、成人式をはじめ大学・短大の卒業式・謝恩会で多くのお嬢様がお召しになる「未婚女性の第一礼装」です。本来第一礼装は五つ紋付のはずですが、現在のようなほぼ総模様になってからは、紋付でなくとも振袖は第一礼装として通用しています。

振袖のちょこっと現代史

明治以来、「五つ紋付裾模様」が婚礼から式典、一般的な祝賀会や社交の場面で活用されてきました。古い写真などを見ますと、振袖は若い女性のお出掛け着(社交着)として裕福な階層で広く着用されていたことが分かります。ですが、それは一部の富裕な階層のもので、一般が広く着用したのは戦後、それも昭和の30年代後半からです。

きっかけは美智子さまのお姿

昭和34年4月10日は当時の「皇太子(現上皇さま)ご成婚」の祝賀の日ですが、その前年、33年11月27日は呉服業界にとって忘れられない記念の日だったことでしょう。ご婚約内定の新聞発表があり、「皇太子妃内定 お相手は正田美智子さん」と大きな文字の号外が出され、日本中が湧きたちました。掲載されていたお写真は白地(と思われる)古典的な花束模様の小振袖をお召しの美智子様のお姿でした。新聞はモノクロでしたから色は分かりませんでしたが、当時すでに女性週刊誌の『週刊女性』や『女性自身』が創刊されていましたし、婦人誌の『主婦の友』『婦人倶楽部』『婦人生活』『主婦と生活』の4大婦人誌が全盛でしたので、そちらで見ることができました。これらの雑誌では毎号のように美智子様の写真をカラーで掲載し、読者に熱狂的に歓迎されていたのです。

その後、美智子様のさまざまな振袖姿が紙面に掲載されましたが、ほとんどは「中振袖」でした。それは、多くの若い女性が憧れる気品高く優美で知性的なお姿でしたから、女性たちの心の中に振袖を着たい思いが芽生えたのです。
そして35年、池田隼人内閣は重大な経済10か年計画を発表しました。あの有名な「国民所得倍増計画」です。「今後10年で皆様の所得を2倍にします」というわけです。実際はそれ以上に高額の所得となるのですが、これ以降日本は高度経済成長となり、好景気に沸きました。女性の高学歴化と社会進出が進み、しだいに上質なものを身に着けるようになっていきました。
そして6年後、昭和39年10月10日の記念すべき日が訪れます。世紀の祭典といわれた「オリンピック東京大会」開会の日です。この日、開会式典が行われた東京の国立競技場は晴天の抜けるような秋日和。昭和天皇の厳かな開会宣言で幕が開かれたオリンピックでしたが、メダリストの表彰式でメダルを運ぶコンパニオンのお嬢様がそろって中振袖をお召しでした。

中振袖の誕生

昭和39年というのは戦後のベビーブーム世代がそろそろ成人に差し掛かってきたころで、全国の呉服業者は振袖生産に思いを巡らす時でした。その前年、38年に「花嫁が着るような大振袖ではなく、訪問着よりも華やかな若い女性向きの装い」として登場しました。

ご成婚後の華子さまの素敵な中振袖姿から

東京オリンピックの直前には常陸宮さまと華子さまのご成婚があり、その雅なお姿も大きな話題となりました。そして、ご結婚後も華子さまが中振袖をお召しになっておられることにも皆が注目したものです。このころから中振袖が女性の礼装として認知されるようになり、振袖の主流となりました。現在、民間では国際的な社交の場面や海外でのニューイヤーコンサートやオペラ鑑賞、大規模なパーティ出席などでは、まだお子様のいない若いミセスが振袖を着用する場合もあります。ただ、国内で結婚式列席などでは、どんなに若い方でもミセスは振袖を着用しません。

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